ソニンの強行突破が話題となっています。
ミュージカルで貫録の演技を見せてくれている女優のソニンさんが、これまでの生き様を語ってくれていますね。
そこには一体どんなストーリーがあったのでしょうか。
では、ソニンの強行突破について一つづつ見ていきましょう。
ソニン 強行突破がヤバい!
高知県からSPEEDに憧れて東京へ上京した彼女が、ニューヨーク留学を経てステージ上の大舞台に立つまでの葛藤や努力を語ってくれているようですね。
やはりそれなりの苦労があったと思います。
まずは、ソニンの強行突破について報じられた内容を見ていきましょう。
こちらが記事の内容です。
◆どんな過酷な仕事にも体当たりで頑張って
――数々の舞台に出演し、演劇界になくてはならぬ存在のソニンさんだが、アイドル歌手として16歳で芸能界デビューした当初は試練の連続。出された指示に従って、過酷な仕事に体当たりで挑む日々だった。
いまだにそうなんですけど、「有言実行」というのが私の人生のテーマのような気がします。15歳のときにSPEEDのライブを見て、同世代の彼女たちがステージを移動するだけで「キャーッ」っていう大歓声。同じ人類なのに、自分とは天地の差。
そのときに、私もこんなふうに「この人、すごい! 私も頑張ってみよう」って、みんなに夢と希望を与えられるような存在になりたいと、ライブを見たその日に、歌手になることを決めたんです。
そんな夢を抱いて、オーディションを受けて上京してきたので、「これ以上はムリ!」って降参してしまうまでは、仕事はなんでもやろうと決めました。陸上の経験なんてぜんぜんなかったのに、実家がある高知から韓国までの陸路570kmをマラソンしたり、6日間かけて1人で約5万5000個のドミノを並べたり。
でも、歌手になりたいという夢があり、この仕事をクリアできたらシングルを出してあげると言われたら、そりゃあやっぱりやりますよ。当時の私には何の武器もなかったので、とりあえず目の前の与えられた仕事を全力で頑張るしかなかったし。
無茶をする私を心配して、両親が「帰ってきてもいいよ」と言ってくれたこともありました。でも、故郷に帰るのは、私にとって、イコール逃げること。当時、逃げるって、カッコ悪いと思っていたので、できなかったです。だから、どんな理不尽な仕事でもとにかくやるしかなくて、私に「ノー」という選択肢はなかったんですよ。
これと決めたら最後までやりきる!
そんな彼女の有言実行スタイルが今のソニンさんを作り上げたのだろうと感じました。
約55000個のドミノを並べたというのも相当根気がないとできないことですよね。
やはりやると決めたら最後までやりきるとても大事なことなんだと思います!
ソニン SPEEDに憧れてニューヨーク留学も!
ソニンさんがSPEEDに憧れて高知県から東京へ上京したことがわかりました。
そのまま周りの反対を押し切ってニューヨークへ留学するなど果敢な活動を行っていたようです。
◆周囲の反対を押し切ってニューヨークに留学
――それだけ頑張ったにもかかわらず、デビュー当時のユニットはわずか2年で解散。事務所を移籍するなど、アイドル歌手時代のソニンさんにはスポットライトが当たらなかった。だが、20歳のときにドラマ『高校教師』で、ホストにのめり込む女子高生を体当たりで演じて女優デビュー。翌年、『松尾スズキ物語』の松尾スズキ役で初舞台を踏み、同年に舞台『8人の女たち』に出演して以来、目の前の扉が次々と開いていった。
『8人の女たち』に出演させていただいたことがきっかけで、初めて出演したミュージカルが『スウィーニー・トッド』です。その前に、大竹しのぶさん主演の舞台『奇跡の人』を観て、「なんて素晴らしい女優さんなんだろう」と大感激。その大竹さんと一緒に仕事ができるならと、それまでミュージカルなど観たこともなかったのに『スウィーニー・トッド』のオーディションを受けたんです。
それが、『血の婚礼』で森山未來くんの相手役に、そして『ミス・サイゴン』で主演のキム役につながって。そのひとつひとつに全力投球していくうちに、どんどん舞台にのめり込んでいきました。
でもその一方で、何かが違うともやもやしている自分もいたんです。今思えば、舞台で私が表現したいことと、自分の実力が見合っていなかったんですね。大劇場の一番後ろの客席まで届くよう思いきりエネルギーを発散しているのに、まだ出し足りない感じでもやもやして……。
当時は、自分が主役を演じることにもかなりのプレッシャーがありました。実力のある俳優さんたちに囲まれて私が主演で真ん中に立つなんて、本当に肩身が狭かった。
そんなとき、ちょっと息抜きしようと、仕事の合間に行ったニューヨークで、ここなら私の悩みを解消してくれる答えが見つかるかもしれないってピンと来たんです。
ニューヨークの人たちはみな自分に自信を持って、周囲の目なんて気にせずに胸を張って生きている。そんな街で暮らしたら、私自身のアイデンティティーも含めて、自分がマイノリティーだと思っていることや「生きづらい」と感じていることの理由も見つかるかもしれないなって。
でも、そう考えたのが、舞台の仕事のオファーが相次いでいた時期だったので、周囲からは大反対されました。だけど、たとえ仕事がなくなっても構わない。こんな苦しい思いを抱えたまま仕事をしているより、とりあえずニューヨークに行って、自分がやりたいようにやってみようと。
それで、仕事の合間に、観光ビザで何度もニューヨークを訪ね、現地で知人を訪ねたりツテを作りまくったりして。そのツテをたどってボイストレーニングの先生に根回しもして、いつ行っても大丈夫なように着々と準備をしました。
その上で文化庁新進芸術家海外研修制度にこっそり応募。この制度で留学すれば、誰が何と言おうと、1年間は絶対に帰って来られないんですよ(笑)。合格することができ、晴れて作戦成功で、29歳からの1年間、すべての仕事を休んで強行突破! 「この街で暮らしたい」とひらめいてから4年後に、ようやくニューヨークで演技の勉強ができることになりました。
1年間の留学期間を終えた後、さらに自費でもう半年間、ニューヨークで暮らしました。その1年半の間に納得のいく答えを得られたのかどうか、正直なところ、自分ではよくわかりません。
でも、帰国直後に『三文オペラ』の稽古に参加したとき、共演者の方々から「変わったね」って口々に言われ、お客様からも「ニューヨークに行って正解でしたね」というお手紙をたくさんいただきました。周囲の反対を振り切って行っただけの価値は十分にあったんじゃないかと思います。
ニューヨークへ留学しその後実費で半年間学んだと言うソニン。 その経験が今舞台の真ん中で生きているのだろうと感じました。
やはり自分で決めたものを最後まで成し遂げたからこその結果であり、挑戦し続けなければ得られなかった経験なのだと思います。
こういった葛藤があって今の地位に上り詰めたソニンさん今後も注目していきたいですね。
ソニン「Love is Over」が素敵!【動画】
ソニン「Love is Over」
大竹しのぶに桂銀淑を合わせたような風味になっててすごく良いよ!!#うたコン pic.twitter.com/JxzADTnuOd
— タカC♂ (@takac417) November 19, 2019
ソニンの強行突破に世間の反応は?
さらに、ソニンの強行突破についてネットに寄せられたコメントを見て見ましょう。

後藤真希の弟のせいで、キャリアがめちゃくちゃになりそうだったけど、よくぞここまで。

色々あって大変だったろうけど、今の地位を築いたのは本当に凄いと思う。
これからもご活躍を祈ってます。

舞台・ミュージカル女優としての確固たる地位を築いています。
舞台スケジュールは3年先までいっぱいとダウンタウンさんのバラエティ番組で語ってました。

ソニンさんとは同世代で過去の事は不運だったが今も頑張っている記事を読んでこちらも勇気づけられた。
あいのり桃や、加藤沙理とかはもう結構なのでこういう何も言わずに直向きに頑張って人生を切り開いた人の記事をお願いします。

また綺麗になっちゃって。
体を張ったり色々苦労してきましたからね。
どうかお身体を壊さずにほどほどにがんばってください。

若い時のこの娘の売れ方がイマイチだったのが不思議で仕方ない。後藤真希、松浦亜弥、藤本美貴よりも断然にキレイだと思ったものだが。
やはり、後藤(弟)のせいかな。最初からソロだったら、もう少し苦労もしなくて済んだかもな。

>事務所を移籍するなど、アイドル歌手時代の
>ソニンさんにはスポットライトが当たらなかった。
>だが、20歳のときにドラマ『高校教師』で、
>ホストにのめり込む女子高生を体当たりで演じて…

アイドル時代もそこまでマイナーな人ではなかったような…
大ブレイクではないにせよ普通に売れてたし、
それなりに話題にもなってたと思う。
終わりに
今回は、ソニンの強行突破についての内容や世間の反応をお伝えしました。
ソニンさんが周りの反対を押し切ってニューヨークへ留学したことなどこれまで最後までやると決めたことをやりきった彼女が今舞台の上で輝いていることがとても素敵ですね。
だからこそ演技の中にこれまでの経験がにじみ出ているのだと思います。
今後もソニンさんに注目していきたいと思います。それでは今回はこの辺で最後までお読みいただきましてありがとうございました。