早乙女太一さんの苦い思い出が話題となっています。
俳優の早乙女太一さんといえば大衆演劇の一座に生まれたお家がら。
若い頃の思い出を語ってくれているようですが、何とも子供ながらの悲しい思い出があるようです。
一体どんな若い思い出なのか気になりますよね。
では、早乙女太一さんの苦い思い出について一つづつ見ていきましょう。
早乙女太一 苦い思い出がヤバい!
白いご飯の大好きな太一くん。#早乙女太一 pic.twitter.com/dk0NEQBV2z
— め〜たん (@izumiDAmeg) February 12, 2020
俳優の早乙女太一さんが若い頃の思い出を語ってくれています。
どんな思い出のなのか俳優を4歳からやってきた彼だからこその思い出がありそうですね。
まずは、早乙女太一さんの苦い思い出について報じられた内容を見ていきましょう。
こちらが記事の内容です。
俳優の早乙女太一(28)が18日放送のMBSテレビ「ごぶごぶ」(火曜後11・56)に出演。少年時代の苦い思い出を明かした。
大衆演劇の一座に生まれ、4歳から舞台に立っている早乙女。「毎月、転校を繰り返して、学校も2、3時間目までしかいられなかった。友達は1人もできなかった」と小学生時代を振り返った。
ある学校では「すごく仲良くしてくれる子」ができ、早乙女の一座が公演を行っていた健康ランドに友達を誘って遊びにくることに。昼と夜の2部公演の間の休憩時間に、楽屋でテレビゲームをして遊んだという。
早乙女は友達らを部屋に残したまま「ちょっと行ってくるわ」と夜の部の公演へ。だが舞台を終えた早乙女が返ってくると、「終わるまで待ってる」と言っていた友達らの姿はなく、部屋にあったゲーム機がすべてなくなっていたという。「次の日学校で“ゲーム機持って帰った?って聞いても、“いや、知らない”って。“うわ、もう二度と友達なんてつくらねえ”と思った。ショックでしたね」と回想していた。
やはり大衆演劇の一座に生まれたことから、4歳から舞台に立っていた早乙女太一さん。
ずっと演劇のことで学校でもあまり授業にも参加されることができなかったみたいです。
それはそれで友達も出来ず寂しかったのではないでしょうか。
そんな中、友達とテレビゲームをして遊んでいた時に練習に行って帰ってきた後に、友達は「終わるまで待ってる」と言っていたのにも関わらず誰もいなかったという寂しい思い出のあったようですね。
友達も悪気はなかったと思いますが本人にしてみたら若い頃の話思い出なのかもしれませんね。
早乙女太一 大衆演劇の舞台の動画はこちら
俳優の早乙女太一さんの大衆演劇での舞台での動画について調べてみました。
なんと4歳のことから演劇の世界に入りひたすら練習してきたそうでかなりの経験を持っていられます。
やはり演技が素晴らしいですね。
早乙女太一 西山茉希(元妻)と子供の家族写真は?
早乙女太一さんと西山茉希さんが離婚して2ヶ月経った時からもともと住んでいたアパートで同棲していることが報じられていました。
6月下旬、6年の結婚生活にピリオドを打った早乙女太一(27)と西山茉希(33)。しかし、それから2ヵ月経った後も、二人は結婚中と同じマンションで同居していた。
「子供が生まれても仕事と遊びだけに熱中する早乙女に西山が三行半を叩きつけた。ただ、5歳と3歳の娘への影響を考えて、当面の間は一緒に暮らすそうです」(芸能プロ関係者)
引用:フライデー
早乙女太一さんの苦い思い出に世間の反応は?
さらに、早乙女太一さんの苦い思い出についてネットに寄せられたコメントを見て見ましょう。

これ、窃盗じゃん。
泣き寝入りしたのなら本当に可哀想。
憶測だけどその子は他の家でもやらかして
出禁になっていたのでは?
だから転校生を選んで近づいたんでしょう。

この人は小さい時から目が寂しそう。それも魅力の1つだけど、離婚もして信用出来る人いるのかな。同じような環境だけど、富美男は元気そうでいい。

ドサ回りしてる劇団の楽屋なんてしょっちゅう物無くなるじゃない。その子じゃなくて内輪の大人かもよ…。公園で子供たちが遊んでる時にゲーム機がなくなって子供同士で疑い合って大騒ぎした結果、全然接点もない幼児の母親が中古屋に売りに来て御用なんてこともありましたんでね。
早乙女君ほど有名じゃないが知人に大衆演劇をしている家族がいるけど、男の子でもひどいセクハラを日常的に受ける環境だそうで大変な業界だなと思います。

小学生ってまだ欲を抑制できない子がいるからこういうことあるよね…
自分も小学生の頃、毎日遊んでた友達にトレカ盗まれたことあったな
そいつの家でそれ見つけて問い詰めたら逆ギレされた笑
まあゲーム機ごと全部ってそれの比じゃないけど…

たまたま劇団朱雀 復活公演に行って、この人の、あまりの凄さに驚いた。子供の頃から、大変な想いをしてきたんだろうな。

大衆演劇団は早乙女太一に限らず他も似たようなもんなんだろうな…。
それでも早乙女太一は劇団を再興しようとして、嫁は子どもの未来も考えて離れていったんだろうな…。
終わりに
今回は、早乙女太一さんの苦い思い出についての内容や世間の反応をお伝えしました。
早乙女太一さんの若い頃の思い出は悲しい思い出だったことがわかりました。
さすがに4歳の頃から演劇の舞台に立っていればそれは忙しく友達もできなかったでしょうね。
少し寂しいですが今はこうやって俳優として活躍しているわけですので、 これからたくさん友達を作っていくんでしょうね。
今後も早乙女太一さんに注目したいと思います。
それでは今回はこの辺で最後までお読みいただきましてありがとうございました。