元フジテレビのプロデューサーでディレクターの佐藤義和さんがお亡くなりになったことがわかりました。
72歳でした。
先月移住先の沖縄で亡くなったとのこと。
タモリさんやビートたけしさん、そして明石家さんまさんなどのテレビの人気者を育てた笑い番組プロデューサーの重鎮の突然の訃報に悲しみの声が広がっています。
今回の記事では、佐藤義和さんについて取り上げたいと思います。
【死去】元フジテレビ佐藤義和さん訃報のニュース
2020年12月2日、一時代を気づいたフジテレビの名物ディレクターである佐藤義和さんがお亡くなりになったことがわかりました。
まずは報じられた記事の内容を見てみましょう。
タモリ(75)ビートたけし(73)明石家さんま(65)らをテレビの人気者にした元フジテレビのプロデューサー、佐藤義和さんが先月、移住先の沖縄で亡くなっていたことが1日、分かった。72歳だった。肝臓を悪くしており、病死とみられる。
佐藤さんは宮城県塩釜市出身。東北学院大を卒業後、71年にフジテレビの子会社「フジポニー」にアルバイトを経て入社。80年にフジテレビに移籍後は、11年に亡くなった横沢彪さん(享年73)の下でディレクター、プロデューサーとしてバラエティー番組で活躍。「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに、フジテレビが80年代に業界トップに躍り出る原動力の1人だった。
「オレたちひょうきん族」(81~89年)では「ひょうきんディレクターズ」の一員として、ビビンバ荻野、三宅デタガリ恵介などと画面にも登場。シングル「ひょうきんパラダイス」をリリースしている。頭髪が薄かったことから“ゲーハー佐藤”と呼ばれていた。
酒好きで知られた。ディレクター、プロデューサーを務めた「笑っていいとも」(82~14年)では、司会のタモリが「サトちゃん」と呼び、「タモリさん、そうだかだー」と酒の席でタバコを吸いながら打ち合わせをする佐藤さんのまねをして笑わせた。
プロデューサーになってからもウッチャンナンチャン、ダウンタウンらの番組を担当して、後に続く若い芸人を育てた。タレントのみならず、ディレクター、プロデューサー、放送作家など数々のバラエティーの作り手も育てた。05年に早期退職して、フリーとして活動。近年は沖縄に移住していた。
今年3月に沖縄で佐藤さんと会って話したというお笑い関係者は「また、一緒に面白いものを作りたいねと話していたのに。80年代以降のフジテレビのバラエティーの礎を築いたすごい人でした」としのんだ。
引用:日刊スポーツ
- 名前:佐藤義和
- 生年月日:1948年4月6日 (年齢 72歳)
- 出身地:宮城県塩竈市
- 学歴:東北学院大学 土樋キャンパス
- テレビ番組:「オレたちひょうきん族」; 「森田一義アワー 笑っていいとも!」他多数
【家族】佐藤義和(ひょうきん族)の妻(嫁)や子供は?結婚はしてる?
佐藤義和さんは既にご結婚されているようです。
奥様は看護師の方のようですね。
こちらは奥様とのツーショットと思われる画像です。
やはり奥様はとても若くて綺麗な方ですね。
一般人の方のようなので詳しい情報などはありませんでした。
またお子さんについても特に公表などはされてないようです。
ネットの声
佐藤義和さんの突然の訃報にネットの声を見てみましょう。
佐藤義和さんといえば、俺にはサトちゃんシールの人でした。今も持ってる人、いるかなあ?
— キルシェ@艦これラバウル基地 (@kirscheshimo) December 1, 2020
ひょうきん族D佐藤義和氏死去#Yahooニュースhttps://t.co/qyS8vdYljc
『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』ではプロデューサー務められていて良きフジテレビのバラエティを知る方が居なくなったのは残念です。
ご冥福をお祈り致します。— 🔥魔苦地威(まくちぃ)🐲 (@Esperanza_Ciel9) December 1, 2020
塩竈市の出身でしたか…
ひょうきん族が終わってからデートの待ち合わせ…が定番でした(笑)
ご冥福をお祈りします。「ひょうきん族」ディレクター佐藤義和さん死去72歳 (日刊スポーツ) – LINE NEWS https://t.co/xlOQ0hRwg2
— JAEFANS 3がいっぱいのNew会員番号←mayu (@s_noopy_jj_love) December 1, 2020
まとめ
今回の記事では、佐藤義和さんについてみてきました。
フジテレビのお笑い番組がとても面白かった時期に活躍したプロデューサーの早すぎる訃報に悲しみの声が広がっています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
それでは最後までお読みいただきましてありがとうございました。
コメント